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碑まであと100mのところに建っている案内板。 案内板には 「箱館戦争のさい官軍との交戦で倒れた新撰組の土方歳三ら 旧幕府軍の戦死者約800人の霊がまつられています。」 と書かれています。 |
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碧血碑です。 手前の看板には、碧血碑建設の由来が書かれています。 7回忌にあたる明治8年に建てられた物で、 碑石は東京から船で運ばれてきた物だそうです。 題字は旧幕府軍陸軍部行であった、大鳥圭介のもの。 「碧血」とは「義に殉じて流した武士の血は3年たつと碧色になる。」という中国の故事。 |
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台座の裏には、碑建立の由来を示す16字の漢字が刻まれています。 「明治辰巳寅有此事 立石山上以表厥志」と刻まれています。 (13字目と16字目は、碑に刻まれていた文字が PCで出て来ないため、読下文の字を当てています) |
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1875年(明治8年)に、榎本武揚、大鳥圭介らによって建てられた 旧幕府軍戦死者のための慰霊碑です。 その当時旧幕府軍は「賊軍」であったため、 その霊を奉るというのは、命がけにも等しいものだったようです。 この碑には戦死者だけでなく、戦争で使われた武具等も納められていたそうですが、 度々盗人に荒らされ失われた物も多いとか。 (2005年7月23日UP) |
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